2008年11月11日火曜日

引用メモ


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メモ。



自分はいったいこれから何をしたらいいのだろう。すべきことがわからない。そう思い悩んでいる若者が、ひとまず猶予の刻を稼ぐために旅に出るとする。たとえば彼はバックパックひとつをかつぎ、シルクロードを西に向かって歩くかもしれない。だが、旅は過酷である。もしそれが一人旅なら、そのつらさは二倍にも三倍にもなる。金の豊富な大名旅行なら別だが、おおかたは安宿のドミトリーと呼ばれる大部屋で、貴重品をしっかり握り締めながら、見知らぬ異国人と一緒に眠ることになる。ガタガタの乗物に疲れ、値段の交渉に疲れ、場合によっては病を得ながら、しかし彼は旅を続けていく。旅を続け、旅を続け、しかし彼はいつしか「何をすべきか」という問いを虚しく砂漠に棄て去ってしまう。長い旅から帰ってきて彼がする仕事といえば、他人のカスリを取るようなヤクザな仕事ばかりなのだ。
 どうしてなのだろう。彼はさまざまな町で、村で、見て、知ったはずなのだ。パンを焼き、家具を作り、畑を耕し、羊を追う人々。つまり真っ当に働いている人々の存在がどれほど自分たちの心に安らぎを与えてくれるかということを。彼らが働いている姿を見ているだけで、旅行客からいかに多くの金を巻き上げるかということしか考えていないような、そんな宿屋や食堂の親父たちに覚える嫌悪感からどれだけ遠くにいられるかということを。真っ当であることのすばらしさを知りながら、どうして真っ当な仕事につかないのか。
 なぜ? しかし、その問いは見知らぬ「彼」に向けたものではなく、実は私自身に向けた問いでもあるのだ。どうして私はあのとき真っ当な仕事につかなかったのだろう。せっかく物書きの卵であることをやめて旅に出たのに、帰ってからどうしてまた「ヤクザ」な物書きになどなってしまったのだろう……。

  沢木耕太郎 『天涯4 砂は誘い 塔は叫ぶ』 集英社文庫 より






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