2009年2月1日日曜日

帰納法と演繹(えんけき)法


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フィボナッチのために調べた。

引用はwikipediaより


まとめ



帰納法

個別実験による証明。帰納法は、必ずしも真ではないのは明らかで、早まった事実認定が起こる。このため近代論理学や統計学などと結びついて研究されている。(近代論理学ってなんぞー、パス)


演繹法

帰納法によって導かれた事実、または「人は必ず死ぬ」のような一般的な事実を「正しい土台」として計算を行い、結論を得る。


数学的帰納法

名前とは異なり、演繹法。「数学的帰納法の原理」を基にして正当化。「原理」を正しいと仮定しているからこそなりたつ。





帰納法



帰納(きのう、Induction)法とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則を見出そうとする推論方法のこと。帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない。



具体例は、



実験からガリレオ・ガリレイは物体の落下時間が質量に比例するものではないことを示した。これは帰納的な判断である。



ガリレオの個別的な実験結果による、普遍的な規則(自然法則)の推測。


演繹法(数学的帰納法)



演繹(えんえき、ラテン語 deducere)は、一般的・普遍的な前提からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。



「普遍的な(と思われている)規則は正しい」という前提のもと、結論を得る。
ガリレオの実験が繰り返されて、この実験結果によって導き出された法則は正しいだろう、と判断されたとき、他の異なった条件下(例えば金星で実験した場合)での結果も導き出すこともできる。(引用元の表現では個別的・特殊的な結論)


三段論法は演繹法

大前提:「人は必ず死ぬ」(普遍的、だと思われている法則)
小前提:「アリストテレスは人である」
結論:「アリストテレスは必ず死ぬ」

前提が正しいと、結論も絶対に正しい。
そのため、どんな応用もきく。「アリストテレスを私」に変えても結論は正しいし、
「人は永遠に生きる」としても、これが正しい前提なのだから、結論は正しくなる。
詐欺に注意。


今の数学はすべて演繹法によって成り立っている

(ちなみに不完全性定理により、数学的前提(公理)が正しいかどうかは、絶対に証明できないことが"数学的に"証明された。数学的前提(公理)から導きだされた結論が定理)


数学的帰納法は帰納法ではなく演繹法


数学的帰納法の正しさは数学的帰納法の原理により示される。数学的帰納法の原理とは次のような命題である。
次の条件をみたす自然数の集合 A は、自然数全体の集合 N と等しい:
0 ∈ A 。
A は S(n) = n + 1 で定義される写像 S : N → N に関して閉じている。
この原理を用いて、数学的帰納法の正しさは次のようにして示すことができる。すべての自然数 n に対して P(n) が成り立つことを示したいとする。いま、
1.P(0) が成り立つ。
2.任意の自然数 k に対して、P(k) ⇒ P(k + 1) が成り立つ。
が示されたとしよう。ここで A = { n ∈ N | P(n) } とおけば、この 1. と 2. はまさに A が 0 を要素に持ち、S に関して閉じているということに他ならないので、数学的帰納法の原理より A = N である。したがって、すべての自然数 n に対して n ∈ A、つまり P(n) が成り立つことが示された。



AがP(n)を満たす自然数の集合と仮定したとき、数学的帰納法の定理は数学的帰納法の原理を表しているので、Aはすべての自然数となる。
写像S:N->N は集合N(自然数)を関数Sに通しても、同じ集合Nが得られること。同じ集合が得られるのを、閉じていると呼ぶ。





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